秋桜(山口百恵)

大好きな歌の一つです。

何が一番といったら、歌詞がいい。本当にいい!

はじめて聞いた時、3センテンス目(この表現で良いかは分かりませんが)で泣いちゃいました。

調べてみてみたら、作詞作曲はさだまさしさんだということが判明。

納得しました。

さださんといえば、「関白宣言」、「北の国からのテーマ」が私としてはピンとくるのですが、山口百恵さんの「秋桜」もさださんが生み出したものだと、その時初めて知ったのです。

聞き惚れてしまって、何度も何度も聞きました。そして何度も泣いちゃいました。

男目線ですが、嫁ぐ女性の気持ち、娘を嫁に出す母親の気持ちに、モロ感情移入しました。

はじめは、歌のタイトルも知らなかったんですよ。ただ、YouTubeっていうもので簡単にいろんな歌を聴くことが出来るようになって、そういえば山口百恵さんの歌って何が有名なのかな〜って検索してたら「秋桜」に行き着いたんですよね。

あ、もちろん、私リアルタイムで聞いたことはないですよ😅

山口百恵さんは、自分が幼稚園生の頃あたりに、かろうじてドリフターズの「8時だよ全員集合!」に出演していたのを観たことがあるかな?って程度です。本当にご本人をブラウン管で見たかどうかは記憶が曖昧です。

でも、山口百恵さんは知ってたんですよね。有名ですものね。

(「8時だよ全員集合!」は本当に特別な時にしか親に観せてもらえませんでした。8時には子供は寝る時間!と寝かしつけられていたんです。)

さださんの歌詞って、本当に、歌なんですけれど情景が思い浮かんでくるんです。小説を読んでいるように。

ワンセンテンス目・・・秋桜が暖かい秋の太陽に揺られて庭に咲いている情景が目に浮かんできます。何気ない日常の中なんですが、お母さんがひとつ咳をするわけですよね。私にとって元気だった母が、歳のせいでもあるが少し弱々しくなってきたことを実感するわけです。(←これ書いてるだけでもう涙腺が熱いです)

ツーセンテンス目・・・昭和の時代に流行った造りの家屋(サザエさんに出てくるようなお家)にこの家族は住んでいて、居間か茶の間かは分かりませんが、秋桜が見える庭が見える廊下のような場所に母が座って今まで撮った家族写真を見ているんでしょう。母はこの思い出のアルバムを何度も何度もこの場所で見ては、娘に同じ話を聞かせるんですよね。同じ写真で同じ話を何度も。母親にとってはたった一人の娘。その娘が嫁ぐとなると、小さかった頃の娘を思い出して、特に印象に残っていることをしきりに思い出してしまう。そんな母心が強烈に伝わってきます。さらに、こんな事があったねあんな事があったねとワーワー言うのではなく、小さく下細い声で独り言のように言うわけですよね。この様子、頭に浮かんできませんか?自分はもうちり紙を用意して鼻かんでますよ😭

3つ目のセンテンス・・・その様子を見て、嫁ぐ娘も泣けてくるわけです。娘としては色々な感情が湧いてきますよね。嫁ぐ私を許してなのか、ごめんね、なのかとにかくそんな優しい母の感情が娘にも伝わり、母の感情が浸みるという歌詞になるわけですよね。でも、そこは悲観ばかりしていられない。嫁ぐといったら悪いことばかりが思い浮かぶけれど、悪いことばかりじゃない。だってこれから幸せになるんだから、幸せになりに行くんだから。あの人と夫婦になって苦労はするかもしれないけれど、今日のことは時間が経ったら笑い話として「嫁ぐ前にこんなこともあったよね〜」みたいな笑い話になるサ。だから心配なんか要らないよお母さん!(←私は涙腺が緩みっぱなしです)

4つ目のセンテンス・・・2番の歌詞ですね。母も私の今までのことを思い出しているようだけど、自分もこの家庭で育ったことを色々思い出す。いろんな事があったし、むすめとしての我儘もたくさんあった。苦労はかけたと思う。一人になりたい時もあって反抗した時期もあったけど、それでも見守っていてくれた毋と父。この時分になって今更なんだけど、もう少しあの時素直になっていれば良かったと、今更唇噛んで後悔しても無駄だけど、それでも後悔してる。ごめんねお母さん。

5つ目のセンテンス・・・ここ、一番泣いちゃいます。ふつうに荷造りしていたのに突然泣いちゃうわけですから!しかも「元気で、、、」って突然お母さん泣いちゃうんですよ!感情が一気に込み上げますよね!?何しろ楽しく荷造りしていた中の出来事ですから。もう、お母さんとしては娘を嫁がせたくないんじゃないでしょうか?姑のいじめに遭うかもしれない。実は暴力旦那かもしれない。幸せになれないかもしれない。私(母のこと)がお父さんに苦労させられてようなことを自分の娘にも苦労させられるようなことになったら、、、ああどうしよう。たまらない、嫁がせたくない、ずっと自分の娘のままでいたらいいのに。そんな感情が溢れてきて、どうしようもなくなって泣き出してしまったわけですよね。もう僕は、こんな情景が頭に浮かんで(ちょっと想像力豊かすぎですが)たまらなくなってきてしまうんです。お母さん何度も何度も「元気で、、、」って言うんですよ。「何度も」と言う言葉をさださんはもう一回、つまり連続して2回歌詞に書くわけです。「何度も」な訳ですから一回の使用でも良いはずなんですが、2回使うという表現に母の「やるせなさ」を僕は感じるんですよね。もう嫁ぐことは決まっているわけだから、どうしようもないのだけれども、でも感情を抑えられない母の気持ちがビシビシ伝わってきます。娘を嫁がせる、嫁に行かせるというということは母にとって、親にとってどれほどのものなのか。痛感させられる歌詞です。

6つ目のセンテンス・・・最後のセンテンスですね。この様子をみた娘の複雑な心境が読み取れます。「ありがとうの言葉をかみしめながら 生きてみます私なりに」うーん、実に意味深ですよ。お母さん、お母さんの気持ちはとってもありがたい。ありがとう。でも、私は行かなくてなならない。お母さんのそういう心配も、もしかしたら当たってしまうかもしれないけれど、でもやらなきゃならない。もう私自身の問題なの。自分で決めたことだから、やってみないとわからない事だってたくさんあると思う。自分なりに精一杯やってみるから。どうか優しく見守っていてほしい。

でも、嫁ぐその日まで私はあなたの娘。だからあと少しだけお母さんの娘でいさせてね。

すごいですよ!さださん!

こんなにも僕の想像力を掻き立ててくれる歌詞になかなかお目にかかれないですよ!

昭和の歌の歌詞って、本当に小説のようなものが多いと思います。一つの物語になっていて、聞いている私たちにいろんな感情を導き出してくれます。

チューリップさんや、テレサ・テンさんの歌もそうです。

なかにし礼さんの歌詞も好きでして😅

「この歌でそこまで想像しちゃう〜?」シリーズの第一弾は、これで終了です。

今度は、大穴、小公女セーラの「花のささやき」でいきます。この歌、実は作詞がなかにし礼さんなんですよ!ご存知でした?


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