来年は2025年。
1945年を境目とすると来年は戦後80年ということになる。
毎年このテーマについて考えるのだが、いつまで「戦後」といっているのか。もう80年も経つのに。
戦後50年という節目で「戦後」という言葉を使うのはやめにしておけばよかったのに。と思う。
それでは別の言い方はあったのか?と考えると、それはそれで適当な言葉は思い浮かばない。
「新世紀」?「新⚪︎⚪︎」?「シン⚪︎⚪︎」?
それとも「先の戦争から⚪︎⚪︎年です」とキャスターに言わせる?
いずれも分かりずらいので結局「戦後⚪︎⚪︎年」と言う?
でも、新しい言い方を考えないといつまでも同じ。
戦後100年経ったらさすがに使わなくなる?
それとも新しい世界大戦が始まったら新しい表現が生まれる?
それはきな臭い。あってはならないこと。
いずれにせよ、私たちは戦後を生きている。
そんなことを考えている時、私は必ず「あの時の日本は強かったな〜」と思う。
あの時とは、戦中の日本である。
戦中の日本
「欲しがりません勝つまでは」
「ぜいたくは敵だ」
「鬼畜米英」
「軍艦マーチ」
「天皇陛下、バンザーイ」
色々なワードが思い出される。
戦後生まれの私だけれども、戦中の苦労は相当なものだったと想像に難くない。
小学生の頃は、家庭でも、学校でも、テレビでもよく戦中のことが話題になった。
でも今はどうだろう?テレビでも学校でもすっかり話題にならなくなった。せいぜい8月15日の終戦記念日の前後に取り上げられる程度だ。
家庭で戦争の話をしようとすると見向きもされない。
なぜか?
そんな苦労話は聞きたくないようだ。
でもそれって危険なことではないか?そこまで言うとちょっと大袈裟か。
戦中の苦労話に耳を傾けないのは、なぜか。
聞きたくない理由は?
もう80年も前の話は古すぎるのか?
それって、歴史から学ばないってことにはならないか?
人間は歴史から学ばなくてはならない。歴史から学ばなくなると、同じ過ちを繰り返すことになりはしないか?
それはやはり危険なことではないか?
先の戦争のことを忘れてしまったら、また「戦争すればいい」ってことになりかねませんよ。
でも、今の日本はすっかり牙を抜かれてしまったので、たとえ過去の歴史を忘れてしまったとしても、戦争をおっ始める戦意はないですがね。
それも全て、戦後教育の影響ですよ。
ということで、次回は「戦中」の教育から考えていきましょう。
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