戦中の教育 ①

現代を生きる学校の先生が戦中の教育現場を目の当たりにしたらびっくりするでしょうね。

保護者の方もびっくりするでしょう。

学校では、先生は絶対的存在。先生のおっしゃることが一番なわけです。それだけ当時の教師には「権威」があった。極端に言えば先生のおっしゃることは「天皇陛下」がおっしゃられることと同じ。

天皇陛下のおっしゃることを教師が代わに生徒に伝えているということです。当時の教師は天皇陛下の宣教師とも言えるかもしれません。

大日本国憲法においては、天皇陛下は神格化され「国家神道」という思想のもと、天皇陛下を現人神とする国家と宗教とを一体とする体制が敷かれていました。その一役を担うのが教育現場だったわけです。

教室には、白馬に乗った天皇陛下と日本国旗が掲げられ、徹底した愛国心を植え付けられます。民は天皇陛下にお仕えするために生きるのです。

現代では考えられませんが、そこに「強さ」の秘密が隠されています。

目標はただ一つ「天皇陛下のために尽くすこと」。

そうすることが立派であり、求められていることであり、美しいことである。そのように学校で教えられるわけです。

全員が同じ目標を共有し、それが是であり、美であるわけですから、それを否定する余地はありません。

否定するものは、徹底的に特別警察が取り締まる。

この体制って、どこかで聞いたことありますよね?

そう。朝鮮民主主義人民共和国と同じ発想です。あの勇ましい軍事パレードをテレビで見たことありますよね?一糸乱れぬ軍事行進。戦いを挑んだらヤバそうだなって思いますよね?あれが戦中日本のわかりやすい姿です。

強い国家を形成するためには、教育に力を入れるのが一番です。

戦中の日本は、「天皇陛下のために」が人生の目標であり、美であり、徳であった。 

だから戦況が悪化するにつれて、天皇陛下のために「死ぬ」ということが最も美しく崇高なことになってしまった。しかも死んだ後に祀られる靖国神社には天皇陛下が参拝に来てくれる。ならば天皇陛下のためにお仕えした結果死ぬことになっても、天皇陛下にお会いできる。たとえこの命を天皇陛下のために捧げたとしてもこの上ない幸せを感じることができるではないか!

そうして多くの命が散ってしまったのでした。

でも、お分かりのように、天皇陛下のために死を選択することはけっして美徳ではないですよね。でも、戦中の日本においてはそれは当然の価値観だったのです。

死🟰美徳

この価値観を植え付けたのは軍部であり、それを末端まで浸透させたのは教育。

恐ろしいことではありませが、それが戦争なんですよね。

でも、見方を変えるとどうでしょう。

何としてでもやり遂げる力、我慢する力、考え抜く力、行動力、率先垂範、他を思いやる力などなど、現代の日本人が忘れてしまった力は戦中の日本人の方が持ち合わせていた気がしませんか?

それは、戦中の日本人の目標が「戦いに勝つこと」であったから。目標が明確でありしかも国民全員がそこに向かっていた。脇目も振らず。そして勝てると信じていた。だからこそ、どんな苦難が待っていようと耐えることができた。辛くても悲しくても「勝つため」に。

チームだなんてちっぽけな集団ではなく、全ての日本人が一丸となって大きな壁に立ち向かっていたのです。

だからこそ、戦中の日本人は強かったのです。

今の日本人は戦中の日本の逆をいっています。

個人が大事。隣人が何をしようと知らない。私が一番。

我慢はしない。お金があれば我慢なんてしなくていい。

宗教?何それ?

自分が好きなことだけすればいい。好きなことだけして、生活に困らなければいい。

スマホがあれば、他のことはいらない。

そのくらい極端になっていると思います。現代社会は。未来はさらにそれが進行しそうな気配。

つまり、日本人がさらに弱くなっていくということです。


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