教育現場ですので、教師と生徒がいますよね。当たり前ですが。
ただ、今と言い方が違う点があります。
それは、先生の呼び方です。
学校においては「先生」は生徒から先生と呼ばれますが、先生の先生はなんと呼ばれていたか?
「師範」と言われていたのです。
今で言うところの教育大学に近い存在ということになりますが、学校の先生になるためには「師範学校」を卒業しなくてはならなかったのです。
私は、師範というと武道の師範というイメージが強いのですが、みなさんはいかがでしょう?
師範といわれると、先生よりも強い感じがしませんか?
実際にそうだったと思います。
つまり、今の学校の先生よりも戦前の学校の先生になることはとっても難しかった。
求められる知識はさることながら、倫理観、行動、全てにおいて師範と言われるに相応しい人格者であることが求められたのです。
天皇陛下の子である生徒を教育するのに相応しい人間であるかどうか。いわゆる素養も師範学校に入学するにあたっては考査の一つであったでしょう。要するに頭だけ良くても人格的に素養がなければ教師になることはできなかったんですね。(←これ今とは全然違いますよね)
当然と言えば当然かもしれません。天皇陛下の代弁者としての地位を求められていたわけですもの。
自分に厳しいのは当たり前。だからこそ生徒にも厳しい。
当時の先生ってとっても怖かったでしょうね。
翻って、現代の先生はどうか?
とてもじゃないが、「師範」とは呼べないような教師ばかりだと思います。
二次試験で面接試験はもちろんありますが、まずは試験の出来を見られる。つまりほとんどの場合試験の成績が良ければ学校の先生になれるわけです。いわゆる公務員です。今の学校の先生は言われたことだけやればいい公務員。もちろん、私立校は違いますよ。
昔は「でもしか教師」なんていうのがいて、教師「でも」やるかとか、教師「しか」できないなんていう人が教師になっていた時期もあったわけです。それだけ教師になる敷居が低かったんですね。
結果として、たいして知識のない、指導力がない教師が一定数存在することになった。そういう先生が担任する教室でいじめが起こっても見て見ぬふりということになり、結果として生徒が苦しみ最終的には自害してしまう生徒が出てくる。一部、でもしか教師の方が人間味があり指導力があったという説もありますが。
戦前の子供達と今の子供達とで自殺者の数を調べたらわかりますよ。確かに正確な数字ではないかもしれませんが、残っている数字だけ見ると12歳未満の自殺者は戦前よりも今の方が多い。
当然、教師だけの問題ではありませんが教室で問題、トラブルが起きても対処できない教師は実に多い。
そもそも、教師としての素養がないのに教師として働いている人が多すぎるんです。特に公立中学校でその傾向が顕著に現れていると思います。
ここ最近は、社会人経験者を教員にさせるといった試みがなされているので、質の低い教師はできにくい傾向にありますが、それでも自分の子供の担任には厳しい視線を向けてしまいます。
担任の先生が変わると不安で仕方がありません。
戦前においては、そんな気持ちになる余地はありませんでした。
学校に行かせたら先生に全てをお任せするしかなかかった。先生のおっしゃることが全てだったわけですから。親が口出しする余地は無かった。それが良いか悪いかは別として。
とにかく教師の地位というのは絶対的だったんですね。
今は体罰と言われて生徒に触ることすら躊躇われる時代ですが、戦前は違った。ただ闇雲に暴力を奮っていたわけではなくて、先生が怒って生徒を叩いたり、怒鳴ったりするのには理由があった。
生徒が忘れ物をした。遅刻をした。他の生徒が嫌がることをした。明確な根拠があった上で愛の鞭という鉄拳制裁が加えられたわけです。だからやられる生徒も納得していた。
戦後の教師は、自分の気分で叩いたり殴ったり暴言を吐いたり。
生徒の好き嫌いでえこ贔屓したり。
姉妹には、カメラを設置して盗撮したり。
とても戦前の教育現場では起こり得なかったことが起こっている。
つまり、教師の品位が低下したのです。これらの問題は全て、教師としての素養をしっかり吟味しなかった結果です。
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